2020年1月から放送されたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公、明智光秀ゆかりの地を巡るモデルコースです。
おごと温泉からほど近く、一大戦国ドラマの舞台となった数々の史跡をウォーキングがてらゆっくりと歩いてみてください。
まずはJR比叡山坂本駅からスタート!
駅前の広場には、生源寺の破鐘(しょうげんじのわれがね)と呼ばれる鐘があります。
生源寺は、比叡山延暦寺を開いた伝教大師が生まれたところで、のちに寺が建てられ、伝教大師にちなんで「生源寺」と名付けられました。
元亀二年(1571年)9月21日の早朝、織田信長公の軍勢による山門焼き討ちの際、侵攻に気づいた村人がこの鐘を力の限りに乱打し、村人に異変を伝えました。あまりに強く打ち鳴らしたため、ひびが入り不思議な音色になったといわれています。
京阪線坂本比叡山口駅のすぐそばにある日吉茶園は、今から約1200年前に天台宗の開祖・最澄上人が中国の唐から持ち帰ったお茶の種を植えたとされる茶園で、日本の茶の始まりとも言われています。
現在は約110平方メートルに約20本の茶の木が植えられており、毎年立春から数えて八十八夜の日には、日吉茶園で茶摘祭が開かれています。
知らなければ素通りしてしまうほど小さな茶園ですが、由来を知るとその小ささがまた貴重に思えるのが不思議なものですね。
日吉茶園のすぐお隣にある甘味処です。
小さなお店ですが、おみやげの葉ざんしょう煮や黒糖わらび餅など、ここでしか味わえない逸品が揃っています。
名物の黒糖わらび餅は本わらび粉を使用したオリジナルで、黒糖の優しい甘さとプルプルとした食感が病みつきになる美味しさです。
また、毎年5月から8月頃までは、期間限定の夏みかんゼリーも提供されています。
その日の分だけ収穫された夏みかんを使用したゼリーはさっぱりとしたお味で大変人気です。
坂本の町を歩いていると、自然石を組み合わせて構築された堅牢な石垣を多数目にします。
これらは「穴太衆積み(あのうしゅうづみ)」と呼ばれており、穴太の里の石工たちによって組まれたものです。
元は寺院などの石垣を任されていた彼らの高い技術を見込んだ織田信長公が、安土城の石垣を依頼したことから全国的に有名になり、以降各大名がこぞって城郭の石垣施工に彼らを重用しました。
坂本の街にならぶ延暦寺の里坊にはこの穴太衆積みで組まれた石垣が多数使われており、街の風情に独特の特徴を与えています。
作り道から福成神社の前を通過して、榊宮社の手前を右に曲がると石畳の坂道が始まります。
この坂を登りきったところに滋賀院が建っています。
滋賀院は、天台座主の御座所で、特に美しい穴太衆積みの石垣が残されていることでも有名です。
背の高い石垣に白壁をめぐらせた優雅な佇まいが印象的で、その上にある慈眼堂には、山門焼き討ち後の復興に尽力した慈眼大師・天海が祀られています。
約2万平方メートルという広大な境内には、内仏殿・宸殿・書院・庫裏・土蔵などが立ち並び、書院では江戸時代初期の狩野派の襖絵も鑑賞できます。
また、名庭と言われる庭園は江戸時代初期の小堀遠州作とされており、国の名勝庭園に指定されています。
昼食がまだの方は、午後の散策に向けてここで一休み。
芙蓉園は穴太衆積みの端正な石垣、比叡山から流れる川水を引き入れた回遊式庭園のある膳処で、比叡山麓の豊かな自然と、美しい景観に恵まれた庭園を前に、比叡ゆば、湖魚、地場野菜などを取り入れた上品で丁寧な会席料理をお楽しみいただけます。
旧竹林院は一千坪もある池泉回遊式の庭園が見事な里坊で、国の名勝にも指定されています。
近年はテーブルに反射したもみじを撮影する「テーブルリフレクション」が人気です。
紅葉の時期はもちろん、青紅葉のリフレクションも美しいですよ!
庭園を眺めながお抹茶もいただけます。
しばし忙しい日常を忘れ、贅沢な時間をお過ごしください。
日吉大社は全国に3,800社もの分霊社を持つ日吉・日枝・山王神社の総本山で、通称山王権現とも呼ばれています。
境内に約3,000本あるもみじは滋賀県内でも屈指の美しさで、秋の観光シーズンには多くの観光客の目を楽しませています。
厄除け・方除けを代表的なご神徳とし、猿を神の使い・魔除けの象徴、「神猿(まさる)」として大切に扱われています。
織田信長公の山門焼き討ちの際には社殿の多くが戦火に巻き込まれ焼失しましたが、幼名が「日吉丸」であったことや、あだ名が「猿」であったことから日吉大社が特別な神社と考えた豊臣秀吉公は、信長公の死後、復興に力を注ぎました。
のどかな風景が広がる日吉大社と西教寺を結ぶ道。
近隣からは日吉古墳群などが発見されています。
ここから見えるびわ湖は絶景。ぜひゆっくりと、びわ湖の景色を楽しみながら歩いてみてください。
西教寺への道の途中には、八講堂千体地蔵と呼ばれる石仏群があります。
昔、この場所には八講堂という建物が建てられており、近世になって田畑を開墾する際に次々と発見された石仏がここに集められているのだそうです。
天台真盛宗の総本山・西教寺は、聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。
その後久しく荒廃していましたが、慈恵大師良源上人が念仏の道場としました。
文明18年(1486)に天台真盛宗の宗祖である真盛が入寺するに至り、現在では400か寺以上の末寺を有しています。
元亀2年(1571)織田信長公の比叡山焼き討ちにより境内は焼失しましたが、その直後に築かれた坂本城の城主となった明智光秀公との縁は深く、現在の総門は坂本城の総門を移築したともいわれています。
また、光秀公が戦死した部下の供養のために寄進した供養米の寄進状が寺に残されており、境内には光秀公の供養塔や妻・煕子をはじめ、一族の墓が残されています。
延暦寺の里坊が並ぶ日吉大社の参道で、美しい穴太衆積みの石垣が続いています。
近年はフォトスポットとしての人気も高く、カメラやスマートフォンで写真撮影を楽しむ観光客の姿が増えています。
たっぷり観光したあとはお腹も空きますよね!
夕食まで我慢できないという方は、JR比叡山坂本駅にある「肉のまるとみ」さんで揚げたてのコロッケをどうぞ。
定番のコロッケ以外にも、ミンチカツや唐揚げなど、ちょっとつまめるメニューが豊富です。
どれもお財布に嬉しい価格ですよ。
お疲れ様でした!
JR比叡山坂本駅からJRおごと温泉駅へ。
宿までは各旅館の送迎バスをご利用ください。
各旅館自慢の夕食と温泉で、ゆっくりと1日の疲れを癒してください。
2日目は坂本城跡周辺を中心に、びわ湖湖岸を巡るコース。
まずはJR比叡山坂本駅からスタートです!
お天気の良い日は自転車でまわるのもおすすめ。
京阪坂本駅前の坂本観光協会でレンタサイクルの貸し出しを行なっております。
観光の前に腹ごしらえ!という方は、JR比叡山坂本駅からすぐの中国料理 登煌がおすすめ。
ホテルで修行されたシェフによる広東料理は、地元の方からもおいしいと評判です。
素材の味を大切につくられたお料理の数々は、本格的ながら日本人の舌にも合うものばかり。
お得なランチコースや定食など、お昼のメニューも豊富です。
甘いものがお好きな方は、姉妹店の「三九良(さんくろう)」にも足を運んでみてください。
JR比叡山坂本駅から京阪坂本比叡山口駅方面へ徒歩約5分、坂本三丁目の交差点を超えた右手に「蓬餅」ののぼりを目印に、石畳を奥に進んだところに店舗があります。
美しいもえぎ色のよもぎ餅は、すべて手作り。甘さ控えめでさっぱりとした口あたりです。
庭内でもお召し上がりいただけますので、観光後にゆっくり訪れるのもいいですね。
比叡辻(ひえいつじ)二丁目の湖畔にある天台宗の寺院で、寺伝では最澄(さいちょう)(768-822)の創建とされています。
中世を通して延暦寺の念仏道場として栄え、織田信長公による焼打ちのときも森蘭丸(らんまる)の父である森可成(よしなり)の墓があったために難を逃れたと伝えられています。
表門は旧坂本城の門を移築したもので、境内には珍しい石造の巡縁の本堂や狩野探幽守信、尚信、信政、久隅守景筆の水墨障壁画がある客殿もあります。
その他、建築物・石造物・美術工芸品にわたって国宝・重要文化財が数多くあり、そのため比叡山の正倉院の異名をとっています。
これらの貴重な寺宝は、毎年8月16日の虫干会(むしぼしえ)に展覧されます。
また、庭園は県の名勝に指定されています。
東南寺の北東約250m、国道161号の西側に木造の鳥居と2つの石灯籠を有する小さな塚が明智塚です。
この場所は坂本城の城内と推定されており、ここから少し南に進んだ位置に、坂本城の本丸があったことが近年の調査でわかっています。
この塚の由来については、明智光秀公が坂本城築城に際して、本家の美濃守護土岐氏から伝領した宝刀を城の主柱の下に埋めた跡である、光秀公秘蔵の愛刀「郷義弘」(ごうのよしひろ)の脇差を落城に際して娘婿の左馬之介秀満が埋めたところである、あるいは左馬之介秀満の首を埋めたものである、明智一族の墓所であるなど、様々な伝承が残っています。
明智一族の悲運もあってか、この塚にさわるとたたりがあるとの言い伝えがあり、詳しい調査はされていませんが、現在も地元の人々により大切に守られています。
坂本城は元亀二年の延暦寺焼き討ち後、織田信長公が明智光秀公に命じて築城されたものです。
山門の監視ができる比叡山山麓にあることや、京都に通じる交通の要所である点から、当時の坂本は天下を左右するほど重要な場所だと考えられていました。
坂本城の構造は長らく不明とされてきましたが、近年の発掘調査により、その特徴が徐々に解明されてきています。
その主な特徴のひとつに、琵琶湖の水を城内に引き入れた水域形式の城であったことが挙げられます。
文化的な営みを愛した光秀公は、しばしば城で茶会を開いており、そのことは光秀公の茶湯の師匠・津田宗及の茶会記にも記されています。
また、イエズス会の宣教師であったルイス・フロイスは、著書『日本史』の中で「信長が安土山に建てたものにつぎ、この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった」と記しており、この記述からも当時の豪壮な城の様子が伺えます。
光秀公の死後、丹羽長秀、杉原家次、浅野長政らが城主となりましたが、いずれも長くは続かず、天正十四年(1586)の大津城の築城とともに解体されました。
現在、当時の面影を残す遺構はほとんど残されていませんが、坂本城跡公園には明智光秀の像がひっそりと立っており、今も静かにびわ湖を見守っています。
皆様も眼前に広がるびわ湖を眺めながら、遠い戦国時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
明智光秀公ゆかりの陣太鼓が残されている盛安寺は、天台真盛宗の寺院です。
創建は不明とされていますが、戦国時代に越前朝倉氏の家臣である杉若盛安(すぎわかせいあん)が再興し、自分の名を付けたと伝えられ、幾度かの焼失の度に復興されて現在に至っています。
また、随筆家の白洲正子がその美しさを絶賛し、井上靖の小説『星と祭り』にも登場する木造十一面観音立像が安置されていることでも知られています。
長谷川派の極彩色障壁画が見事な上段の間と次の間に面した鑑賞式枯山水庭園は、県の名勝に指定されています。
人気漫画『曇天に笑う』を原作としたテレビアニメ・実写映画の大ヒットを受け、その聖地として一躍全国的に有名になった唐崎神社は日吉大社の摂社で、近江八景のひとつ「唐崎の夜雨(からさきのやう)」で知られる景勝地です。
びわ湖に面した境内からは、正面に近江富士を望むことができます。
境内には「辛崎の松は花より朧にて」という芭蕉の句で名高い樹齢約100年の巨大な霊松があり、金沢の兼六園にある唐崎の松はこの地から分けられたものとして有名です。
また、女別当命(わけすきひめのみこと)を祭神とすることから、婦人病平癒のご利益があるとされ、現在も多くの女性が参拝に参られています。
唐崎神社を訪れたら、是非立ち寄っていただきたいのがここ!
神社の正面に店舗を構える「かぎや」さんです。
みたらし団子の発祥には諸説ありますが、一説によると、ここ唐崎もみたらし団子発祥の地といわれているそうです。
真偽のほどはともかくとして、間違いないのは「かぎや」さんのみたらし団子がおいしいということ!
注文を受けてから焼いてくださるお団子は、表面がカリッとしていて中はモチモチ。
代々受け継がれている秘伝のタレを絡まって、本当に美味しいんです。
びわ湖のすばらしい景色を眺めながら、焼きたてを是非!
お疲れ様でした。
お帰りは唐崎駅からJR湖西線をご利用ください。
【京都方面】
JR湖西線で14分
レンタサイクルをご利用いただいたお客様は、京阪坂本駅前の坂本観光協会へご返却をお願いいたします。